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かわいいペット!!

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鷹の餌やりが大変な事がわかりました。ブルーな”酋長”です。

写真は、井の頭公園近くの風の駅で飼われている鷹です。かっこいいので写真GET。

さて、賃貸から一戸建てへ引越しを検討中です。一戸建てに引っ越すメリットは色々あるのですが、その中でもペットが自由に飼える!!これはかなりのウエイトです。ただ、私もシャチも買いたいペットに問題点が、、、まずは、猫と犬で様子見です。

– ヘッジホッグ(はりねずみ) ==> 庭があなぼこだらけになる。
– サーバルキャット ==> 200万くらい。。。高すぎ。さらに許可が必要。
– ハリスホーク ==> 色々と大変
– ライオン,トラ ==> 近所迷惑。。。本当に飼えるのか??
– 牛、馬 ==> いけそう。場所確保が、、

小説・・・

夕食を終えてルームメイトとゲストハウスで生活していく上での他人との距離感の取り方について議論していたときに、わたしの携帯電話にアドレス未登録の番号で着信があった。

以前より執拗にアクセスしてくる某宗教団体からの勤行への参加のお誘いかと懸念したが、しばらく連絡をとっていなかった学生時代の友人(女性)からだった。

「嘘も方便、知らぬが仏」を信条に据えることにしたわたしはネット社会に紐縛感を覚えてきたので、衝動的に過去数ヶ月に渡り音信の途絶えている方々のアドレスは削除させていただいたのではじめは気付かなかった。

彼女は嗚咽をあげながら聞き取りずらい社交辞令の挨拶を冒頭に語りはじめたが、本題は男関係のトラブルが起きて慈しみの言葉をかけて欲しいのだとわたしはすぐに察したわたしはこう答えた。

恋愛なんてものは始まってしまったらそれは病気にかかっちまったようなものや。

症状の進行具合で早期であれば退院も可能やけど、末期になっちまったら病人同士でお互いに麻酔を掛け合って痛みを隠蔽し合いながら、死ぬまでお互いに上手に付き合っていかなくてはならん。

主治医がメスを投げてとんずらしちまったときは、他に名医が見つかるまでは自分で治療していかなくてはならねえもんなんや。

生きていくために自分を治療できなきゃ、他人を治療することなんてできやしないんや。

彼女はわかりましたとだけ言って電話を切った。

(この物語はフィクションです)

山を降りて感じたこと・・・

透明感溢れる師走の空を眺めていたら、衝動に駆られて高尾山にたどり着いてしまいました。

要するにカラダが余っているのです・・・

成田山新勝時、川崎大師に並ぶ三大パワースポットの一つだとメディアに担ぎ上げられてから、入山者の数も右肩上がりに昇っているらしいです。

山頂までは5つのルートに分かれていて、「岐路にたったら迷わずに苦しい方を選べ」と仏の声に従うままに一番険しい稲荷山コースを辿ることにしました。

一番険しいと誇張しましたが、山頂まではたかだか600m弱の標高なので老若男女が充分に登山を楽しめるほどのレベルです。

原色に彩られた自然のアートを堪能するというよりは、枯渇したマゾヒズムを潤すためだけにマラソン呼吸を繰り返しながら、前を歩く御年配の方々を背後から追い詰めては抜き去っていきました。

ゴールまでの所要時間が90分と表示されているにもかかわらず、わずか30分ほどでたどり着いてしまったわたしは、300円のソフトクリームを味わいながら帰りはジョギングで麓まで下りました。

いわゆるオバサン(オジサン)といわれる人種の特技に、自分の都合によって身体能力の老化具合を使い分けるというものがあります。

TPOに応じて剣幕を挙げて若さを誇示したり、もう年だからという心身の衰弱に対して言い訳を放ったりするテクニックです。

青年像、老年像、男像、女像、武士像、皇室像など歴史や文化に形創られた「かくあるべき」という社会通念の縛りを受けた倫理や規範のなかでわたしたちは生活を保ってきています。

自由経済が国境を越え、モノやヒトが地球規模で拡散するにつれると、旧態依然としたままの倫理や規範が形骸化してしまい、矛盾や軋轢は当然生じてきます。

持てるもの、持たざるものが生まれ、一方の主張が過熱して暴力に訴えた結果がムンバイで起こった悲劇なのです。

動乱の幕末の頃、徹底して尊王佐幕の精神を貫き、賊軍の汚名を着せられながらも徳川家への恩義に背くことなく老若男女一丸となって、故郷のために殉死していった会津藩の教えがここに生きてきます。

ならぬものはならぬ・・・

言動や所作から古い男呼ばわりされようとも、時代の流れという名の建前に寛容さを示しつつ、信念と葛藤しながらかくあるべき姿を貫き通している30代の男の生き様というものを考えさせられます。

泣けない、愚痴れない、女々しいことはできない・・・

働き盛りの30代、40代にうつを始めとする心身症や自殺者などが急増している背景には、このような心理的葛藤が遠因しているのです。

30にして惑わず・・・40にして立つ・・・

孔子が残した至言だが、平均寿命が人生50年だった頃から遥かに長寿になった現代では、縛りのスパンを延長させて心に余白を確保してみようかと思います。

いちょう祭り in 高尾

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挨拶はきちんとしなさいとシャチに怒られました。ブルーな”酋長”です。

さて、最近、高尾に家を買うかどうかを検討中で、ちょくちょく高尾に行っているのですが、たまたま、いちょう祭りに出くわしました。甲州街道沿いにたくさんの銀杏があり、所々で出店がでておりました。また関所があり、子供たちは関所カードにスタンプを押して楽しんでいる模様!!

写真の社寺風木造駅舎の高尾駅。とてもJRの駅とは思えません。何か趣を感じます。

ジングルベル。

tree_oak.jpg 3連休が終わります。明日から会社。ブルーな”酋長”です。寒さと共に、我が家にもクリスマスツリーを出す季節がやってきました。去年、ユザワヤ(吉祥寺)で買ったツリーに飾りつけ。でも、電飾はありません。真っ暗闇では見えません。今年はホワイトクリスマス?例年になく寒い冬がやってきそうです。

脳内麻薬のすすめ・・・

社会人になると不可欠な資質として執拗に問われてくるのが自己管理能力というものです。

体調を崩さない、遅刻をしない、身だしなみを整える、生活に必要な経費を工面するなどということが、若手社員向けのフリーペーパーなんかに乗っているような必須事項に当たります。

欧米のトップ企業などでは、過度の肥満やヘビースモーカーであるということだけでもエグゼクティブへの昇進を阻む充分な欠格事由になることもあるらしいです。

社会通念というものはその土地の風土や制度に縛られている多種多様なものなのです。

頻発している大学生の大麻所持の容疑に関わる事件がメディアに祭り上げられています。

単純に気持ちいいから彼らはテトラヒドロカンナビノール(物質名称)を体内に取り込むことでダウンしたいわけなので、それを超える快楽に気付くことでしか薬物汚染から足を洗うことへのインセンティブとならないのです。

これは精神論ではなく、多幸感や報酬感を与えるエンドルフィンという快楽物質が関わる科学的根拠に基づいた技術論です。

マラソンを例にとれば、体力の臨界点を超えたときに訪れるランナーズハイの状態を作り出すということです。

頭脳をフル回転させ、カラダをアクティブに動かし、脳内麻薬を自己管理の元に量産することで得られるナチュラルハイの状態こそが、人が到達するべき高尚の境地であるとわたしは考えています。

高橋尚子やクルム伊達公子の雄姿から快楽の原理というものを想像するには難いでしょうか。

ZED:シルクドソレイユ

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弁当箱が逆さでした。バックの中は、いい匂い。。ブルーな”酋長”です。

先日、ZEDを見てきました。すばらしいパフォーマンスであっというまの2時間半。人間ってこんことまで出来るんだと関心の嵐。欲張ってフロントビューという前の方で席で見たのですが、首が痛くなりました。もし行くのであれば、ちょっと後ろの方がお勧めです。

ZEDの後、イクスピアリで夕食を食べたのですが、後日、その店から、”賞味期限切れ鴨肉使用に関するお知らせとお詫び”のWeb記事が。。日にちもバッチリ。いつもなら鴨肉があれば、注文したのですが、その日は牛肉を。ラッキーでした。

憧れの乗り物:トゥクトゥク

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最近、記憶力があやふやです。ブルーな”酋長”です。

仕事が忙しくなると、プライベートの記憶力がかなりダウンします。ほぼ機能していない状態です。家まで電池が持ちません。予備バッテリーを購入せねば。。

さて、皆さんトゥクトゥクをご存知でしょうか?タイに行った人なら知っていると思いますが、タイの三輪車タクシーです。それが偶然、三鷹で発見しました。交差点で止まっているのを発見した時には、ビックリ。急いで写真を撮りました。

嫁(シャチ)を説得中ですが、検索すると130万円で売っていました。うーん。是非買いたい。まずは、ミニカーでも買おうか悩んでおります。

日本人の宗教観について・・・

わたしは30ヶ国余りを旅してきましたが、そのなかで欧米人の大半が喜ぶ日本の名物だと自負しているものが二つあります。

一つは朝の通勤ラッシュでホームの係員が乗客を押し込む光景であり、もう一つは千鳥足を踏むほどにへべれけになっている酔っ払いの姿です。

一神教を信仰している彼らの理念に照らせば、結婚式を教会であげ、葬儀を仏式で行い、武士や農民や軍人や動物までをも神様として祭り上げてしまうわれわれ日本人は宗教観念の薄い民族だと思われがちですが、先の二つの文化遺産を引き合いにあげれば反論は可能です。

前者は神道に基づいた神への捧げものとしての勤労精神の表れであり、後者はお神酒によって清められたカラダが神がかっている神聖な状態なのです。

神が天地の創造主とされているキリスト教やイスラム教圏の方々にはイメージしにくいことかもしれませんが、八百万の神を生活の一部として取り入れてきたわたしたちは、他の神教にも寛容に接することで和の精神を受け継いできました。

満員電車に揉まれて会社へ行って仕事を終え、赤提灯で千鳥足になるまで酒を呷ってふらつきながら帰宅する文化にこそ、古代より継承され、無意識下に取り込まれた日本人の宗教観が如実に表れているのです。

外人に宗教論争をふっかけられたときには、語学が堪能な人にこのように通訳してもらうことにします。

再会・・・

中野ビレッジにお世話になってから9ヶ月ほど経過したが、2年前にここで生活を共にした友達が入居してきました。

彼はネパールのカトマンズでカフェを経営していて、今回の帰国は店舗の運営資金を稼ぐためだそうです。

今からちょうど一年前にアジア横断の旅の際に、彼のカフェに立ち寄っては、店がクローズするまでカクテルを呷っていたものだが、時の速さというものを痛感させられる再会でした。

改めてゲストハウスの良さを実感した一日でした。