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久々の「受験勉強」!?

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6月から始めた仕事ですが、昨日早速社長から申し渡された件。

「”Oracle Master” の資格を取りなさい。」と。

そこで、日本橋の丸善まで行ってテキストを購入。

1.Oracle Master SQL 基礎 1

2.Oracle Master Bronze DBA 10g

3.Oracle Master Silver DBA 10g

以上3点。

まずは、これだけの資格を取り、次に”Gold” “Platinum” 仕上げに “Expert” が待ち構えているとか。

ゆっくりとはさせてくれないようです...

NOMADO WORKER in the CLOUD !

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It was a really beautiful morning when I took a walk round the Shinobazu no Ike last week.

その日は2カ月ぶりの「仕事始め」であった。午前中仕事場に行ってこれから半年間のスケジュールの調整をしなければならなかった。

これからする仕事はというと、「システム開発」屋さんである。

そして、どんな形になるのかといえば、「雲」である。「クラウド・コンピューティング」ってやつである。

今までのような「重たい」システムはさようなら!これからは「雲」のなかにしまって必要に応じて端末で処理する。

軽くて、簡単。セキュリティもバッチリ!

そんなシステムの開発が仕事。いつでも、どこでも「雲」にアクセスして仕事をする。オフィスや机等々、余計なものはいらない。私のいる所、そこがオフィスです。所謂「NOMADO WORKER」になりました。

最近想うこと

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世の中5月末日までは鳩山、鳩山、と公園のハトじゃあるまいし、ポッポ、ポッポとあちらこちらもも喧しい。

政治信条とすれば保守本流を志向している私にとっても、彼の言動はその「政治理念」以前の問題である。

彼の出自に起因するところ大であろう。やはり、代々続く政治家の、まぁ、一言でいえば「いいとこ出」のぼんぼんなのであろう。金に苦労したこともなければ、学校の成績で叱られたこともなく、伸び伸びとお育ちになられたわけだ。

明治の御代、日本には「階級制度」があり、それは遠く大英帝国のそれを摸したものであった。英国貴族には “noblesse oblige“という思想が根付いている。一言でいえば、” The aristocracy ought to behave honourably.” ということ。

貴族たるもの、恥ずかしい行動は慎め!世のため、人のためになることは率先しておやりなさい。

外国に対して「わが日本は諸君らに対して引けを取らない思想信条を持っている。つまり、『武士道』である。」とわが敬愛してやまない新渡戸稲造は流麗なるイギリス語で、その精神を述べている。

小村寿太郎も日露戦争の戦後処理の会談の席上、ロシア側の言い分にも怯まず、当時の公用語であるフランス語を操り交渉をした。

このような先達の思いを「今」に継承している政治家の如何に少ないことか。

満州事変から太平洋戦争に至る昭和初期の日本人はあまりにも急ぎ過ぎた。と同時に、ヨーロッパを追われるが如くに新大陸に移民した「下層階級」の人々が、それこそ明治期の日本人と同じように追われた祖国を見返すべく、それなりの努力をした結果国際舞台に台頭してきた、その国アメリカ合衆国の勢いに焦りを感じ、加えて日本に対する圧力に屈した結果が、一連の戦争となって日本人を苦しめることとなる。

そして、歴史を持たない米国の行った占領政策が、日本の歴史の全否定であった。

民主主義の美名のもとに、世界に誇る「立憲君主国日本」は崩壊し、その歴史も幕を閉じたのである。

そして、戦後の日本は米国に凌辱されてもなお、米国に媚を売る政治家しか存在しない。といっても過言ではなかろう。誠に痛感の極みである。

などと鳩山問題に事寄せて考える日々である。

今、嵌っているもの!

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twitter に嵌ってます。今度の参院選挙は、「ネット選挙」といわれているが、米英のように全面解禁にはなりそうもない。誠に残念でならない。

金の掛からない選挙を目指すならば、インターネット、メール、等々、は必須である。

ついでに投票も「ネット投票」にすれば、なおよろしいかと思う今日この頃である。

静かな日曜日

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今、池之端の上野西は104号室が空いている。2,3階の空き状況は知らぬ。

物書き願望のAさん、居住年数2年超。T大医学部勤務のIさん、3年超。ベジタリアンのNさん、2年超。といったところかな。他にも、3階住人さんは3人。実を言うと、この方々洗濯の時に1階に下りてくるだけなので、素性はわからぬ。

1階に新たな住人さんが入って来たのは和食の板前さん、20歳代、が2か月前のこと。

朝早く出勤し、夜遅くのご帰還ゆえ、あまり話もできない。

台湾からの留学生のカップルが2週前にご入居。女性は日本語ができない。男性はほんの少々の日本語程度。

流石に1部屋には入れず、1階と2階とに泣き別れとはなったが...

そんなこんなの上野西だから、というわけでもなかろうが、日中は外出組が多く実に静かなものだ。テレビは各室に1台備えてあるので見たいときは自室に引きこもって見ればいい。

時折夜中にキッチンから話す声が聞こえてくるのは、件のAさん、Iさん、実に仲の良いまるで兄弟のような二人だが、の歓談の声くらいなもの。最近は他の住人さんの迷惑にならないようにとのご配慮か、Aさんの部屋でお話されているようである。

上野西には『亡霊』がいる?????

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それは昨日の正午前くらいの時間に起こった。

ここの住人さんたちはそれぞれ午前中に外出した。最後に出て行ったのが1階住人で物書き願望のAさん。

外出する前に洗面所で洗顔。用を済ませて自室に入ったあと数分して、「行ってきまーす!」毎度の外出時のご挨拶。小生も応えて「あー、行ってらっしゃい。」

ハウスには小生一人がお留守番の形になった。三社の宮出しも明日だし、今日はのんびりツィッタ―でもやってようかとマイPCを立ち上げようとしたその瞬間。

なにやら洗面所のほうから水の流れる音が...する?!

小生以外誰もいないのに。と思いつつ、恐る恐る洗面所のドアをほんのチョッと開け中を覗き込んだら...でったー!!!

ではなく、出てた...のである。浴室のバスタブに湯が流れ込んでいた。

人がいるわけでもないし、きっとA さん、間違って風呂の給湯ボタンを押したんだな。

晩に住人さんたちも帰って来た。

それとなくAさんに問うてみたところ、きょとんとした顔で言うではないか。

曰く、「前にもそんなことがあったんですよ。」と。

そーかー??? でも、まー、やはり、ここには亡霊が棲みついているのか?!

Aさんの自室へ入っていく後ろ姿の肩ほどに小さい子が二人、のっかっていたようないないような...

こちらを向いて笑っていた。

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こんなお話、如何ですか?

流石に春分の日を過ぎれば、夏至までは日が長くなってきます。

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ここ池之端の上野西は、1階入口が西方向に向いているので午後の時間はもろに西日が当たる。

今はまだ湿度もなく、今日などはまさに「五月晴れ」故、入口扉を開放している。実に気持ちがよい。日の暮れる午後6時ごろまで開放している。周りには小学校校舎、高層マンションが隣接しているので朝日の当たるのもほんの少しの時間だし、午後2時ごろまでは日陰の身なのよね...って、まるでお妾さんみたいな話ではありませんか。

夏は直射日光が入らない分多少は凌ぎやすいかもしれないが、布団が干せないのは大いに不満ではある。

とはいえ、ここ池之端は立地条件とすればこのうえなく恵まれた場所ゆえ、一歩外に出れば日頃の散歩コースには事欠かない。不忍池東大構内根津谷中千駄木上野鈴本湯島、等々。

4・5月の2か月在宅ワークの身には申し分のないワーキングプレイスでした。

6月からは事務所にての仕事になるので、ほんのチョッではあっても通勤ラッシュに揉まれるのが嫌ですねぇ―。ま、電車に乗ってる時間は6,7分なんですけどね。

夏祭りの季節です!!

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5月5日の「立夏」を過ぎれば、江戸っ子のジッとしてられない夏祭り!!!

今週末は、下谷神社の大祭。来週は、といえば、誰もが知ってる浅草三社祭り

東京下町の江戸っ子気質を充分にご堪能あれ!

加えて、先週の『天皇賞(春)』からG1レース6連発。

その続きは...

NHKマイル~ヴィクトリア・マイル~オークス(優駿牝馬)~日本ダービー(東京優駿)~安田記念

こりゃもう貯まりませんな!え、チョと可笑しい???あ、そりゃ、「負け馬投票券」ばかりを手にすりゃ金も貯まらないが、当てに当てまくれば、金は貯まる!

で、そうなりゃ気持ちドキドキ、ワクワク。もう堪らん!と相成るわけだ。

立夏!!!

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今日で黄金週間も最後と相成りました。

そして、その最後の日を飾るに相応しい「こどもの日」。ところでこの国民の祝日、一体どんな日なのかといえば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」日なのだそうな。しかし、ここには「父」がいない。何故だ!何故なんだ...と、チョッと気になり、調べてみた。すると...

旧暦(陰暦・・)五月五日は端午の節供(または、端午の節句)。現在は男の子の節供。
端午は「月の初めの五日」と言うこと。

さらに古くは月初めの「午」の日で、本来は五月に限った呼び名ではなかった。

これがいつしか重日思想(月数と日付が一致する日付を特別な日だと考える思想。古代中国にあった)と相まって五月の五日だけを特別に指すようになった。


端午の節供は五節供一つ。元はご多分に漏れず中国から伝わった行事。
この日に菖蒲(ショウブ)や蓬(ヨモギ)を摘み、家や門に飾る風習があった。


日本では、日本書紀・推古十九年(611年)五月五日に「薬猟りす」と言う記述が有るのが最初とか。ここでいう「薬」は鹿の若角のことだそうです。何せ、鹿の若角を採るのですからこちらはたぶん男性の仕事。
一方女性は何をしているかというと、野原で薬草(菖蒲や蓬など)を摘む。

さて、宮中行事として行われた端午の節供も、実際の薬猟りを行うことは無くなり、走馬・騎射などを観覧するという形態に変化する。そして時代が下るに従って、貴族社会だけの行事が、武家や庶民にも徐々に広がってゆきました。

日本には古くから五月を「悪月」などと呼び、物忌みする習慣が有った。これを「さつき忌み」と称し、菖蒲と蓬で屋根を葺いた「女の家」と呼ぶ小屋を造って女性たちが忌みごもりした。
これは、田植えが始まる前に身を清めて豊作を祈った上で「田植え」をはじめるため。田植えにおいて主役は女性、「実りを生み出す」作業は「子を産む」性である女性でなければならないと言う発想からのようです。
端午の節供は、この様な古くから日本に存在した行事と結びついたため、容易に定着したものと考えられます。
成り立ちから見ると、元々は端午の節供も女性のための節供だったらしい。

兜飾り 元々は女性のための節供だった端午の節供が「男の子の節供」に変化したのは、武家社会の発達のため。
端午の節供とは切っても切れない植物、「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(しょうぶ)」に通じるとして、武家ではこの日に幟などをたてて子々孫々までの武運を祈るようになったとか。

ゴールデンウィーク真最中!!!

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世の中「国民の祝日」が重なり、あちらこちらで人ごみの中をそれぞれの休みを満喫していらっしゃるご様子。

ご苦労様です!

昔は飛び石連休と言ってまさに休んだり、仕事に行ったりといった具合で世の中の「お父ちゃんたち」は大変だった。

平日に長期の休みも取れない日本人気質なれば、「有給休暇」の消化も儘ならない。

加えて「有給取りたい。」なんて職場の上司に言おうものなら、上司からマイナス査定を食らいかねないし、同僚からは冷たい視線を浴びる覚悟が必要であった。

やはり、日本人は強制的に休みを取らせないとダメな国民性なのか。こんな世界にも稀な祝日天国になった。

ここ池之端から東大構内を散策して本郷通りに出て、その通りの向こうに友人宅がある。久し振りに一昨日から昨日にかけて昼夜を徹してそんな日本人の性向について語り明かした。

その彼は、銀座で飲食店を経営している。

この「黄金週間」はしっかりと休むがその理由は客が来ないから...だそうだ。