真夏の素肌をジリジリと焼くような日差しを浴びていると、いい加減涼しくなれよな。と言い、気温10℃を切るようになると、早く暖かな季節になってくれ。と...
人とはなんとまぁー我儘なもんで。
今月22日。冬至である。この日を過ぎれば日はまさに日一日長くなる。
古代人が太陽の再生を祝った理由がわかる。そして、ここから1年が始まったのも...
とはいえ、本格的な寒さはそれ以降である。
寒さにめげず、風邪やインフルエンザにも負けず、寒いときには寒いなりの楽しみもある。
真夏の素肌をジリジリと焼くような日差しを浴びていると、いい加減涼しくなれよな。と言い、気温10℃を切るようになると、早く暖かな季節になってくれ。と...
人とはなんとまぁー我儘なもんで。
今月22日。冬至である。この日を過ぎれば日はまさに日一日長くなる。
古代人が太陽の再生を祝った理由がわかる。そして、ここから1年が始まったのも...
とはいえ、本格的な寒さはそれ以降である。
寒さにめげず、風邪やインフルエンザにも負けず、寒いときには寒いなりの楽しみもある。
今年一年を総括するにはまだ早い時期ではあるが、敢えて総括しようかと今年一年の国内外の出来事を纏めてみた。
なんと今年は『支那イヤー』だった。
政治的、経済的、外交的、国際関係、等々。
人民元切上げ問題。上海万博。尖閣諸島不法侵入漁船問題。広州アジア大会...
繁華街を歩いても、あちこちで支那語の大声での囁きも聞こえてくる。
そういえば、小生も東京生まれの『支那そば』が大好きであった。
今日は、酉の市。そして、立冬。
段々と年の瀬を感じさせる頃となってきた。
毎年、「昇らない太陽はない。」と、豪語している小生ではあるが自然が与えてくれる「恵み」を五感で感じ取れるこの国こそが「吾が祖国」。
ヨーロッパや中東各地をフラフラしていた頃、忌まわしき「キリスト教」以前の古代原始宗教由来の祭りをその土地々々に住む人々が祝う、その姿に魅了されたものだ。それこそ日本という国で古来からの風俗習慣として連綿として受け継がれてきた「祭り」と軌を同じくするものであろう。
秋も深まってまいりました。もう、晩秋。
古来、「つゆが陰気に結ばれて、霜となりて降るゆへ也」と。いわゆる『霜降』。
西洋歴の11月6日が和暦神無月一日。朔。立冬は翌7日。
もうあと半月も経てば、冬。
今年の冬は何色にしようか。毎年々々、悩むことではある。一昨年が白。去年は赤。そして、今年は、...?
冬のウェア、ダウンジャケット、レザーハーフコート、コーデュロイジャケット・パンツ、ハイトップのブーツ、バックスキンシューズ、等々。
ファッションを思う存分楽しめる季節の到来。
Enjoy Yourselves, You All!!!
「アパパネ、やりました。牝馬三冠だ!」と、京都競馬場から実況アナウンスが飛んできた。
今日は、京都GⅠレース「秋華賞」の日。
人はこのレースを「三歳牝馬」クラシックと呼んでいるが...
小生は、これには異論あり。大いに反論したい。どうも、日本人は「三冠」だの「四天王」とグループ化したがる。
三歳クラシックとは、春に始まる「桜花賞」、「皐月賞」、「優駿牝馬(オークス)」、「東京優駿(日本ダービー)」、そして、秋の「菊花賞」の5レースのはず。
牡馬は、「桜花賞」「オークス」を走れない。牝馬のためのレース故。
しかし、牝馬はこの5レースいずれも選べる。
これがクラシックレースのルール。
牡馬3冠だの牝馬3冠とは言わない。
これだけは、たとえJRAがなんと言おうと譲れない...。
てなことを声高に叫んでみたところで、意味のない抵抗なのだが...トホホではある。
ワールドワイドで人気の「つぶやき」サイト。
ブログに取って代わった感がある。やはり、140文字という短文での「つぶやき」は文章力が無くても気にならない。
加えて、リアルタイム、クイックリスポンスが魅力であろう。
また、フォローするにも、されるにも気楽。
ブログにコメントするにも、ある種覚悟がいるが、twitter のRTは、気安くできる。
名の知れた政治家、経済評論家、企業家、等々の「つぶやき」も楽しめる。
斯く云う小生も日々つぶやいているのだが...
こんなこと、つぶやいている。⇒http://twitter.com/hoax_bot
日の暮れるのが日に日に早くなっている。
そして、今日は「秋分の日」――昼と夜とがほぼ同じ。
「中秋の名月」を愛でようと日が落ちてから不忍池の畔を散策。暮れ六つ頃。日の入りから概ね30分ほど経った時刻。
池の畔、不忍通り側から東の方を眺めみると、ビルとビルとの間からニョキッと顔を出している「東京スイカツリー」...ではなく、「東京スカイツリー」。その脇から見える!見える!「中秋の名月」!!!
満足であった。
散歩も終え、帰宅後夕食ののち外に出てみれば空には一面うっすらと切れ目のない雲が垂れ込めて、その向こうにお月様が隠れているのだろう。淡い光色に雲を染めていた。
日改まって、今日は秋の彼岸の中日。
「おはぎの日」(!?)と、幼少のころ家族になかで言って笑われた。
と、ここでチョッときになることが...
最近、春になっても「牡丹餅」ではなく、「おはぎ」を売っている店の多いこと。
「牡丹餅」はどこへ行ってしまったのか???
春は「牡丹餅」、秋に「おはぎ」。
夏は...って、あるんですか、そんなものが?はい、あるんです。冬にもあります。
夏は「夜船」。冬は「北窓」と云う。
詳しくは、こちらをご参照あれ。
さてと、今日のおやつは昨日のお月見の「芋団子」と「おはぎ」と、抹茶にでもいたしましょう!!!!!
十三夜の月である。
残念ながら、雲に隠れてしまいすっきりした形を拝むことはできない。
明後日22日は十五夜。中秋の名月である。古来、「芋名月」とも云う。
その昔は、この日にお供えするのは芋団子であった。それがいつの間にやら月見団子に変身してしまった。
さて、冒頭に「十三夜の月」と書いたが、旧暦八月十五日が「十五夜」というのはすでに周知のこと。
では、「十三夜の月」はいつ?
ひと月後れの旧暦九月十三日の月のことを云う。
そして、この「十三夜の月を「豆名月」とか「栗名月」。この日の月見を「後の月見」ともいう。
また、中秋の名月を見て、後の月見をしないと、「片月見」といって、忌み嫌われたとか。
それをいいことに、遊里吉原では「主と十五夜のお月様をみたいわぁー。」なんて誘い出し、「来月の十三夜もね。」とまた、来させる商法。
月宮殿へ二度のぼるいたい事
と、ぼやいてはみても満更ではない様子で、いそいそと大門を抜けて、目指すは恋しい遊女のところ...といった具合。
お粗末!
何事につけすんなりと習得してしまう人がいる。
何の苦も無く、あれよあれよという間に上達する。
実に羨ましい限りではあるが、小生の友人にもそのような御仁が何人かいる。
しかし、彼らにも人並みの悩みがあるという。
聞けばなんと贅沢なと言いたくもなるようなことをいう。
曰く、「何やっても取り敢えずなんとかなるんだがねぇ。飽きてしまうんだよな。苦労してやっと習得したものなら、充実感もあるだろうが、俺の場合、なんだこんなもんか。簡単すぎてつまらん。てな具合なんだな。」と。
返す言葉がない。
ある程度のところまではいくが、それ以上にはなれない。誠に残念ながら「時間の浪費」になってはいまいか。
多少の無駄、寄り道も悪くはないが、一度きりの人生、これぞと思った道を踏み外さず生きていきたいものである。
と、一度ならずも二度三度と脇道に迷い込んだ人間の戯言である。