分子工学の第一人者が言っていました。
「世界に部分はない」
言われてみると「部分」とは、ただ物事を構造的に捉えるために創りだされた形而上的な言葉であり、その意味では対義語であるところの「全体」もそうです。
例えば人体。
腕、脚、頭などの体の部位や、心臓、腎臓、肝臓などの内臓。
どれも人体の構成要素であり、全体としての体であるところの部分です。
しかしその部分は全て全体に内包されています。
つまり部分であると同時に全体でもあるのです。
もしくは私個人を例にとっても、人間としての私、男性としての私、調布市民としての私。
どんな部分を考えても、そこに存在している限り全のうちの一であり、同時にその全を説明するには一も必要不可欠になります。
分子工学的には恐らく、どんな部分にもそれを構成する要素があり、それら下部組織にとっての全である、ととるのがストレートな解釈だとは思いますが、哲学的にも捉えられる深みのある言葉です。
いつぞや流行ったスマ○プの歌よりもこちらの言葉の方が身に沁みます。
あくまでも個人的にですが。