言葉はいつも心にたりない。
近年出会った中で最も好きな言葉のひとつだが、これに惹かれる自分も未だモラトリアムの中で自己犠牲のマスターベーションにひたっているだけではないかとも思ったりもする。
しかし、自分の想いを伝えようとするときにいっそこの頭と胸を真っ二つに割って見せてやろうかと本気で思うこの気持も本物であるに違いなくて、人のための想いが果たしてだれのためか自分のためか相手のためかなんて哲学的パラドックスに陥る問いからはそろそろ解放されるだんかいにきているのではないか。
よって、誰かのためにすることは誰かのためになっている時点で称賛されうるものであり、その是非を問うのはお門違いであるという結論に落ち着くことにする。
言葉が心にたりないと思うのは自己完結の問いで構わないのだ。
この悩みが分かる人たち皆に、それでいいのだ、と言ってあげたい。