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レジデントブログ
2019.08.31 | 温泉で疲れを癒す、という考えに至った経緯 |
2019.08.30 | カレーを食べに柏に行った |
2019.08.26 | 盛大に誕生日を祝っていただいた時の話 |
2019.08.04 | 他人の靴を履くということ |
著者プロフィール
周りの人間が順調に自立して自活できる大人になっていく一方、私が大学(学部)を卒業できたのは25歳、まともに就職した時に至っては27歳になっていました。「遅熟児」という遠藤周作の造語がありますが、そもそも大人としてきちんとこなせることが一つもない私は青い実のまま腐っていく運命にあると思っています。汚らわしく醜いオコチャマ状態を30歳を目前にしてもなお脱せていないわけで、時々本当に生きていていいのかと疑いたくなることもあります。
だからこそThe Smiths, Radiohead, Nirvanaのような音楽の歌詞は沁みます。それでいて伝統的な価値観に基づいた「男らしさ」の偶像、そしてそれに対する憧憬を全否定することのできないのは、私が実に扱いにくい迷子である故に他なりません。一応自覚はしてるだけましだと思いたいです。
かっこつけでイギリスに住んでいた時期もあり、語学だけは一定期間で人並みの上達が出来たのではないかと思っております。でもこれも裏を返せばそれ以外何一つ社会に役立つ能力を持ち合わせていないということで、要は使いにくい役立たずでいることに甘んじてきた代償を私には払う義務があるということです。
人によっては僕に生きている価値などないとおっしゃる方もおられると思いますし、正直私も少しそう思っています。でも南流山の皆様は暖かく迎えてくださいました。文章は拙く語彙は乏しいですが、心の支えとしての日常やこの土地の魅力が少しでも伝わればと思います。